別々のお正月、そしてアナ雪
何年ぶりか、パートナーとは別々にお正月を過ごしました。
寂しいような、ほっとするような、不思議な感覚。
今まで私と居たせいで、パートナーは実家でどんちゃん騒ぎ?できずにいたので、たまにはよかったのかな、という気もしますが。
でも、新年になる瞬間くらい電話とかしたっていいじゃないですか。
そういうのも、パートナーは幼稚くさくて嫌いらしいんですが(笑)
しかも家族と居る時は携帯禁止らしくて・・・私はまるで無視されていました。
私は拗ねてしまって、12時9分に送られて来たパートナーの「あけましておめでとう」にもまだ返事してません(笑)
元日はすることもないので、今更ながら「アナ雪2」を見てきました。
アラジン、ライオンキングに続いて3作目ですね。
私は子供の頃から、ディズニー全般、長らく余り好きではなかったのですが、最近になっていいと思うようになりました。
大多数が良いと思うものはいいんですよ、やはり(笑)
泣けましたね、刺さりましたね。
Do the next right thing、というアナの台詞が。
かけがえのないものを失ってしまって絶望した時、「今できることをする」「次善策を頑張る」みたいな感じ言っていたと思います。
もう人生ってこれしかないですね。
失敗しないわけにはいかないんですもの。
何もしないでベッドで寝た切りとかならともかく、少しでも動けば、人はミスはするし、地雷は踏むし、何かを失うし、もうボロボロに傷つくわけです。
私は去年、本当にこれだけは失いたくはなかった、というものを失うし、ここはヘマをしたくなかったというところで、ヘマをしました。
しかも自分だけのせいでなく、私のパートナーがしゃしゃり出て、私への愛ゆえに「誤って」私の仕事を台無しにした、というね。。。
本当に失いたくなかった、あれだけは、と思う仕事だったのに!
そのせいで、今年はもう立ち直れないかと思うほど絶望していたんです。
特に前半は、別れたい、とか死にたいとかネガティブなことばかり考えてました。
でも・・・やっぱり「次善策を頑張る」「今できることをやる」しかない。
「気楽に頭を切り替える」こと。
それが人生において、幸せになる秘訣の一つだというのは間違いないと思います。
一方エルサの話は山岸涼子の「日出処の天子」のハッピーバージョンみたいだな、と思いました。
超能力者の孤独、というか。
そしてその超能力者が同性愛者か、それに近い者として描かれる(アナが恋に落ちたのでパニくって山籠もり、とか度を超えたシスコンなんですよね、エルサって)、という共通点もひっかかりました。
やはり超能力者には平凡な結婚生活とか、子供とかは要らないのかしら(笑)
あとは物語として、なんとなくですが、白人が他民族に対して過去に行った悪行への気づき、をテーマにしているような気がしましたね。
ほら、昔インディアン虐殺したとかそういうの・・・。
アメリカ人て本当にサンクスギビング(11月の感謝祭)は、アメリカ大陸に上陸したばかりの白人に親切なインディアンが狩りを教えてくれ、それに対してサンキューという日・・・とかいう妄想物語を信じてたりしますからね。
パールハーバーに対しても、ヒロシマに対しても、唖然とするくらい「自分たちは100%正しい」と思っていたり。
そういう独善に対するそこはかとない懐疑、が漂っていました。
まあ、ディズニーが勝手に過去を反省しても、大統領がアレじゃ元も子もない気もしますけどね(笑)
蛇足ですが、私、自分の子供の頃の顔ってなんだか「アナ雪」のヒロイン達に似ているなあ、といつも思ってます。。。
いや、別に自慢でもなんでもないんですが(笑)
ハッキリ言って、変な顔じゃないですか?!
西洋のアニメとしても、日本のアニメとしても、あまり可愛くもない妙な顔。
あの、目が異様に大きくて、鼻が小さくて、「顔の下半身」が貧弱な感じ・・・。
横顔も全然Eライン整ってなくて、口元が突き出していて、顎が丸くて・・・何かがオカシイ。
自分の過去に似ているだけに、全然美しいとは思えない。
何故こんな顔が採用されたのか、本当に謎です。
でも、こんな顔が主役でもいいんだ、と思うと、苦いコンプレックスが少し解消されていくようではあります。
勝手に時代が私の顔に合わせてくれた、というか・・・。
インスタで私の顔をわざわざ褒めてくれる人も、その、今風な?価値観の持主なのかもしれませんね・・・。
小学校の頃は顔の半分が目!みたいな私の顔なんて、E.T.と呼ばれ、散々男子に馬鹿にされていたのに、この年にして、不思議な逆転現象。
その意味でも「アナ雪」ブームは続いて欲しいです(笑)
最後になりましたが、皆様あけましておめでとうございます。
拙いブログですが、今年も細々と続けていきたいので、どうぞよろしくお願いします。